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明治29年(1896)12月10日〜昭和50年(1975)6月23日 78才没。
東京都麹町区上二番町15番地に生まれる。本名は武臣。
晩年には国語問題審議会の会長も務めている。
孫は衆議院議員の林潤。
原色を多用し絵具を盛り上げた手法で、女性や花、風景などを描き人気を得た。
大正10年 (1921) |
第8回二科展で初入選し、樗牛賞を受賞。 |
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大正11年 (1922) |
第9回二科展で二科賞を受賞。 |
大正12年 (1923) |
関東大震災被災のため、神戸に移住。 |
大正15年 (1926) |
協会会員となり佐伯祐三、里見勝蔵らと合流。 |
昭和5年 (1930) |
二科会を脱退し、独立美術協会を創立。 |
昭和9年 (1934) |
3月に渡欧。パリ、ベルギー、オランダ、イギリス、ドイツ、スペインを訪れる。 |
昭和10年 (1935) |
東京都中野区新井町に居を移す。 |
昭和15年 (1940) |
皇紀2600年奉祝美術展覧会に「肖像」を出品。 |
昭和24年 (1949) |
第1回毎日美術賞を受賞。 |
昭和27年 (1952) |
安井曾太郎の後任として、東京芸術大学美術学部教授に就任。 |
昭和31年 (1956) |
「伏目の女」で現代日本美術展大衆賞を受賞。 |
昭和38年 (1963) |
週刊誌の表紙のため「少女」を制作。 12月、東京芸術大学教授を定年退職し、牛島憲之に教授職を託す。 渋谷区に居を移す。 |
昭和39年 (1964) |
富士山を描き始める。 |
昭和40年 (1965) |
薔薇の連作を始める。 |
昭和42年 (1967) |
第37回朝日賞受賞。 11月、文化勲章受章。 |
昭和46年 (1971) |
国語問題協議会会長に就任。 |
昭和50年 (1971) |
病床で描いた『薔薇』が絶筆となる。 没後、従三位叙勲。 |
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